2011年4月21日木曜日

ねりきり

に、みせかけた、ねんど。
おもったより色が濃くなってしまいました。

木蓮と姉

木蓮通りなるものがあると聞き、見に行きました。
でかい。

木蓮でいつも思い出すのが姉とのままごとです。いろいろ凝っていた姉のままごと料理ですが、なかでも木蓮のはなびらに泥団子を巻いて出してきたのがすごく衝撃的でした。自分には思いもよらない調理法(?)だったので。

それいらい、わたしの中では「姉の傍にいるとおもしろいことがある」ということになってます。

2011年4月20日水曜日

わらいを堪えているけどおもわず吹き出しそうな顔

に、みえる。

土曜日は灰色の馬

恩田陸/晶文社

……このなかで述べられる、「小川洋子の作品の幸福な上澄み」を、まさしく「夜のピクニック」で感じていたので、奇妙な感じ。
恩田陸の作品の底には、盛りを過ぎた大人の視線を感じる。些細な事件で価値観が揺らぐ、不安定な学生時代を経て、自分たちを冷静に分析する大人たち。
その上澄みにあるものが、「六番目の小夜子」であり「ネバーランド」であり、「夜のピクニック」なのだろう。
もし、恩田陸自身に社会人になった経歴がなければ、恩田陸のこの作風はうまれなかったのではないか、とおもっている。

夏の子どもたち

川島誠/角川文庫

本編とまったくもって関係ないんだけど、読みながら、もしこのさき技術が発達していって、生の演奏と変わらないほどのクオリティの楽曲が作れるようになったとしても、演奏家ってたぶん居なくならないだろうな、と考えていた。

演奏するのは楽しい。スポーツとおなじ感覚で。演奏することはつまり体を使うことだからだとおもう。自分は吹奏楽器に適正がなくて、打楽器しかやっていないけれども、打楽器であんなに楽しいなら、楽器と体がダイレクトに繋がる吹奏楽器ってとっても気持よさそうだ。
だからこのさき、人の肉体活動が減っていっても、演奏するという活動はけしてなくならない。と、おもう。

ルイビ豚丼

素敵な油。
モンドセレクションを獲ったらしいおそばと、えびといかの春色饅頭。
おそばをこんなに美味しいとおもったのは始めてだった。