2011年3月11日金曜日

ホワイトデイの洋菓子店

ご店主の心意気、ぱねー。
おとといの夢は顔のまぢかで、黒と銀とみどりがまざりあったブラックバスみたいな魚のうろことりをされる夢だった。
昨日の夢は、ひとさしゆびにちいさな穴が空いていて、ためしにこゆびをつっこんでみたらあまりにぴったりすぎて抜けなくなる夢だった。けっきょく第一関節まではいった。
今日の夢は、車がとめてあるところまで行くのに山道を通っていく夢だった。小さいけれど樹が大きくて、全体的に灰色とみどりいろで、へびが多い山だった。ちいさなくろいへびが足元にいっぱいいた。なにが嫌って、寝ているあいだに自分の脳がなにを考えているのか全くわからないことだ。

魚介のバジルクリームパスタ

まさかえびが…!
デザート、二品ずつえらべる。
ごまのアイス、ガトーショコラ、ムラング、ゆずのアイス。ゆずのアイスめちゃうまい。
ムラングについて、フランスのカルメ焼きですって説明されたけど、カルメ焼きたべたことないとおもった。

ケベックトーストと塩バターココア

ケベックトースト。メイプルシロップをかけてカリカリに焼いたトーストに、さらに生クリームとメイプルシロップをかけるというハイレベルな代物。
おいしさもハイレベル。
その名のとおり、塩.・バター・ココアのいわゆる余分三兄弟が合体した飲み物。
そんなに甘くない。

おやつ

さくらもちはまだたべない!っていってたのに、誘惑に負けた。
てまえは白玉のおかし、らしい。しろあんがみっちり。

2011年3月9日水曜日

うなぎパイ


とってもおいしい。なにも入っていないやつがすき。

2011年3月8日火曜日

庵野秀明のフタリシバイ ~孤掌鳴難~

庵野秀明/徳間書店

それにしても、自己内省的な人である。庵野監督。「監督不行届」(安野モヨコ)だと、すごくのうてんきでおもしろいひとっぽいのに。

「エヴァンゲリオンの監督」という肩書きがすごく大きくなって、自分自身と乖離していくさまを、冷静に把握しているようだけど、それって客観的でないとできないことだ。その肥大した肩書に振りまわされず、さらに新しいなにかをしようとしている、すごい人だ。でも庵野さん本人の語り口は、オタクっぽくて、コンプレックスのようなものも覗く、ふつうの人の話し方で、つまり、すごいことをする人でも、ふつうの人と同じなのだとおもった。要するに、たくさんの人に名前を知られるかどうかのちがいではないか?

もっとも、読みながら途中で、「すごい人とはやっぱり、経験が違うのだな」と納得したことがあるのだけど、どこでおもったのか忘れた。
あと、アニメーションの黎明期をしっている人たちの対談だけに、「なにそれ!楽しそう!まじうらやましい!」と身もだえすることが何回かあったり(この現象は、ほぼ日の「樹の上の秘密基地」を読んだときにもおこる)、「舞台みてぇ~…でもゴキブリコンビナートはたぶん無理…自分ちいせぇ~…」ってなったり、たいへん心がいそがしくなる本だった。

2011年3月3日木曜日

人類は衰退しました 6

田中ロミオ/小学館
アニメ化するのかー。漫画は休載しちゃったのに。
Nが関わっていきたからか、前巻までに比べて妖精さんとの会話が少ないのがざんねん。
のろいの内容、たしかに考えようによっては怖いなー。
ふたごはまたでてくるのだろうか。

くま

くまが散弾銃を撃っている夢をみた。死んだマタギかなにかから手にいれたらしかった。
その散弾銃はハイテクで、弾がなににも当たらないと戻ってきて、また装填されるのだった。だから、みんなくまを遠巻きにして眺めていた。
なぜこんな夢をみたかというとたぶん、前の日に読んでいた「芝生の復讐」(リチャード・ブローティガン)のせいだとおもう。

2011年3月2日水曜日

チェンではない

「くまのがっこう」のあのこがきたよ。
「サバ折りで、箱にぎゅう詰めにされて送られてきました」
通販だから。
自力ですわれます。

2011年3月1日火曜日

中華街 そのよん

たぶん緑の服のひとが、永田さんという名前。
どうせなら本名じゃなくて、それっぽい名前で呼びあえばいいのに。
「強い」
2の2分の1才って!

素敵な看板。
こういうのすきだけど、夢にでてこないでほしい。

焼肉ドラゴン

戦後の、在日韓国人の家族をえがいた舞台。
小劇場だからステージがすごくちかくて、じぶんも焼肉屋にいるかんじ。

じぶんは平成の生まれで、昭和の世界はイメージでしかないんだけども、
きっとこんなかんじだったんだろうなー、っておもう。むちゃくちゃで、なんでもありなかんじ。
すべてが混沌としているぶん、なにかができる予感の時代。実際にできるかどうかは別として。

想像するに、戦後直後の混乱した状況は恐怖である。安穏とした生活しか経験してこなかった自分は、明日がどうなるかわからない、という日々を、いったいどうやって生きればいいのかわからない。
そのかわり、お父さんが言っていたとおり、「明日は今よりもよくなるかもしれない」というのもあり得るわけだとおもう。

差別され、世の中の経済成長にとり残されて、社会を階層化したら底辺にいるひとたちの話だから、辛いことや理不尽なことが次々おこる。
それで、どうなるのかなとおもったら、彼らはそれでも生きるのをやめないのだった。ぎりぎりの生活で、もうどうしようもなくおもえるのだけど、どう考えても絶望的な状況な気がするけど、それでもお互いに真剣に感情をぶつけあいながら、生きていく。
そういうことができるんだと、この舞台をみて知った。